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「掛軸 大橋翆石」
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掛軸 大橋翆石

大橋翆石

掛軸画家 大橋翆石は、1865年に生まれました。虎の絵を書く事にかけて秀でており、世の中では「虎の翠石」と呼ばれている程でした。その呼ばれを裏付けるように、大橋翆石の描く虎は迫力だけでなく、まるで絵画の中から飛び出してきそうな、そんな躍動感に溢れた作品だったと言います。大橋翆石は、岐阜県に生まれます。後に、東京の千住に移籍しています。大橋翆石自体、幼少の頃から絵画に夢中になっており、京都の天野方壷らに師事をすることになり、絵画の基本をそこで磨いていきました。ここで、多くを学んで行くのですが、一旦大垣に帰郷することになっていきます。しかし、東京に上京をすることになります。東京では、渡辺小崋に師事をし、より絵画の技術を研磨していきます。しかし、再度大垣に戻ることになってしまいます。ただ、この帰郷が大橋翆石を、日本画の大家にするキッカケとなることになります。大震災が起こり、父が他界。しかし、その後、虎の見せ物小屋で虎を実見したことで衝撃を受けます。虎の美しさや獰猛ながら、その繊細な模様など全てに心を奪われて行ったといいます。そして、これをキッカケに虎を描き続けることを決心していきます。ただ、大橋翆石は虎を模写するだけでなは無く、その毛並みなどを繊細に、そして妥協なく描いて行きます。その迫力と大胆な構図、緻密な表現方法は多くの人々の心を掴み、さらには評価を得て行くことになります。本人すら、この毛描き以上の工夫がなければ、翠石の虎画を模しても翠石以上の者はでないと語っており、その執念の深さは他の画家とは一線を画すものだったのです。そんな、素晴らしい虎の絵画を描き続けた大橋翆石は、数々の素晴らしい賞も受賞しています。 農商務省主催第5回内国勧業博覧会では、2等を受賞。さらに、アメリカセントルイス万国博覧会では、優勝金牌を。虎だけを描く、その姿はまるで本人に虎が乗り映ったようとも言われた大橋翆石。彼の功績、残した作品は日本の宝なのです。